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エピソード(RX50スペシャル)

RX50

初めて手にした記念すべきオートバイです。



プロローグ(オートバイに興味をもつまで)

オートバイに乗りたい!と思った最大のきっかけは、原付免許を取得するために購入した一冊の本でした。その本には学科試験の内容の他に「オートバイの運転操作方法」が書かれていました。
読んでみると…何々?クラッチを切りニュートラルギアからローギアに入れて、半クラッチで発進、その後はシフトアップ!?…
街で信号待ちをしているライダーの手元を見ていると、皆同様に発進する前に全員左手のクラッチレバーと左足のシフトペダルを操作しているではないですか!(当たり前)…
「へぇぇ!そうなんだ!」
単にアクセルをひねって走らせているのではなく、他にも色々と操作をする事ではじめて思い通りに走らせる事が出来る。「カッコイイ!」
…これがオートバイに乗りたいと思った最大のきっかけです。

購入までの経緯

クラッチやギアの操作を自分でもやってみたかったので、スクーターなどのオートマチック車ではなく、いわゆる普通のオートバイの様な「原付」に絞って考えていました。(こういう原付は「ゼロハン」と呼ばれていました)
当時は「ゼロハン」の種類も豊富で、「最高速度60km/h以下」というメーカー自主規制がかかる直前の、まさに絶頂期とも言える頃でした。

RX50 後

この[ヤマハ RX50]は、アルバイト先の店長から3万円で譲り受けたものです。当時高校生だった私のアルバイトの時給はたったの470円だったので、新車は手が届きませんでした。
シッシーバー(背もたれ)は最初から装着されていました。


特性

RX50 engine

50ccという小排気量ですので、ギアチェンジを駆使してエンジンのパワーバンドを有効に使わないと、車の流れには付いていけません。「アクセル操作」で走らせるというよりも「ギア操作」で走らせる、という感じで、運転は忙しかったですが、それがカッコいいと思っていたので、むしろ楽しかったです。
排気音は50ccとしては少々大きめで、静かな市街地を抜ける時は少々気が引けました。


思い出

普段の足としてだけではなく、日帰りツーリングにも活躍しました。一気に自分の行動範囲が広がり、海でも山でも自由に行けて、夢中になって色々な所に行っていました。
最も距離が長かったツーリングは260km(9時間5分)でした。

RX50 naked

走るだけでなく、整備も自分で色々とやってみました。
車体もエンジンもシンプルな構造だったので、いい勉強になったし、エンジンをバラしてピストンを見た時は「うわぁ、こんな小さなピストン1個で動いているのか!」と感動しました。


転機

ある日、国道一号線を「普通の速度」で走行していたら、速度取締りに捕まってしまいました。通称「ネズミ捕り」ってやつです。ガーン!
走行速度は65km/h。片側3車線の一級国道では普通の速度でありながら、法的には35km/hオーバー。一発免停の刑です。
しかも前歴があったので免停は3ヶ月間。そして次は免許停止ではなく「取り消し」になってしまうところまで追い込まれてしまいました。これはマズい…

RX50 meter

「速度違反したのが悪い」と言われればそれまでですが、幹線道路で法定速度の30km/hを遵守して走るのは、このオートバイのエンジン特性と車の流れから考えて、ちょっと無茶な話なのです。
だって、スピードメーターの3分の2は違反を意味するレッドゾーンですし、そのレッドゾーンの速度で走らないと高いギアでは満足に力が出ないエンジンなのですから。

この出来事があるまでは「ずーっと50ccでもいい」と思っていましたが、これを境に「50ccのオートバイも潮時かも…」と思うようになってきました。

過去の清算と新たな旅立ち(大げさ…)

18歳になり3ヶ月間の免停期間も終了しましたが、免停前歴(2回)が消えるまでの1年間はバイクの運転を自粛して、その間に合宿免許で普通自動車免許と中型限定の自動二輪免許(今の普通自動二輪免許)を取得する事にしました。

RX50 左前

[RX50]の買い手が見つかったので、次のオートバイを手にする前に手放す事になりました。


今でも思うのは、「最初から大きいオートバイに乗らなくて本当に良かった」という事です。
[RX50]を手放した後の約半年間は、次のオートバイ購入に向けてせっせとアルバイトに励むのでありました。時給は多少上がって…それでも¥500円台だったかなぁ?



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