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メダカ飼育

メダカ

「メダカ」と言うと絶滅危惧種としても知られるようになりましたが、我が家のメダカは野生種ではなく、オレンジ色っぽい「ヒメダカ」という種類で、こちらは絶滅危惧種ではありません。

飼育環境

数が増えてからは室内組と屋外組に分けていました。
稚魚がいる季節には更にもう一つ別の水槽がありました。

室内組

室内組は10リットル入りのガラス水槽に砂利を敷き、エアポンプと水草を入れ、南向きの部屋の窓際に居ました。
エサは朝晩に数回に分けて与えていました。
水は1〜2週毎に全交換していました。

屋外組

一方の屋外組は、10リットル入りのプランターに水草を入れて、室内組の居る窓のすぐ外にいました。
水は減ったら足すだけで数ヶ月間は交換してません。
エサは朝だけで済ます事が多かったです。

とちらの組にも、エサは顆粒状のエサと乾燥した糸ミミズと赤虫の混合を与えていました。
ちょっと面白いのは、全員同じ家系にも関わらず手塩にかけた(つもりの)室内組よりも、放置されがちな屋外組の方が圧倒的に育ちが良かった事です。
屋外組は真冬には凍結する事もあって当初は心配しましたが、全然大丈夫でした。
メダカたちにとっては自然な環境の方が良いようです。


家系

全員がこのペアの子孫です。

オス

こっちがオスです。
水草でちょっと隠れていますが、尻ヒレが大きいのが特徴です。
またちょっと分かりにくいですが、背びれに切れ目があるのもオスの特徴です。

メス

こっちがメスです。オスに比べて尻ヒレが小さいです。
オレンジ色が濃いのは、性別には関係ありません。
ところで、このメスはなかなかの「美形」だったと思います。体全体の形が整っているでしょう?。

譲り受けた当初は7匹位から始まったのですが、一番減った時にこのペアだけになり存続が危ぶまれた時期もありました。
しかしその後は順調に繁殖して、ピーク時は100匹を超えるまでになりました。

繁殖

産卵

春になると卵を産み始めます。
水草があれば、この様に卵をくっつけていきます。これが本来の姿です。

大漁

一方で水草に付ききらない多量の卵も、別の水槽に移し変えておけば孵化します。(うほっ、大漁、大漁)

稚魚

卵は2週間程度で孵化します。稚魚はとても小さく、動いていないとホコリが浮いているようにも見えます。(ゴメンね)
孵化する前に卵を別の水槽に移しておかないと、狭い水槽内では大人メダカに全部食べられてしまうのです。くわばら、くわばら。

習性

朝、カーテンを開けていきなり明るくしてしまうと、驚いてパニック状態になります。(=室内組)
驚いた様子の顔にも見えますが、元々そういう顔なんだと思います。

タコツボ

室内組の水槽には非難場所としてのタコツボを入れてあるのですが、パニックになっても中に逃げ込む習性は無いようです。
(写真はパニック状態ではありません)

一方で、夜の暗い状態でいきなり部屋の明かりを点灯した場合は、まったく微動だにせず底の方でジッとしています。これはきっと眠っていたので、すぐに動けないのです。実際、寝ぼけて動きが変テコなヤツも出てきます。

ブヮァ〜っと…

何といっても一番のお楽しみは「エサ」の時間です。
慣れてくると、エサを与える前にこうして寄って来るので、これがたまらなく可愛らしいのです。(特にこうして正面で見つめられるとタマラン!)


もうエサをあげるつもりじゃないのに、人影が見えるとこうしてブヮァ〜と寄って来るので、放っておけずに、朝の通勤電車が一本遅れてしまう事もあったりします。

屋外組の環境の変化

濁った水

屋外組は、給餌と水足し以外は殆ど「放ったらかし」なので、5ヶ月目にもなると、水は激しく濁りこの有様でした。
自然な状態が良いとは言え、これじゃ何も見えないだろうし、春に水を交換しました。

浄化された水

水を交換した後、数週間後にまた同様に濁ってきたのですが、その後は自然に水が浄化され、4ヶ月目(8月)の時点で、こんなに透明になっていました!
なんと、水槽の底まで見えます。

水中撮影

試しにカメラを水中に入れて撮影してみました。ちょっと貴重な「屋外組」のメダカの横顔です。(いつも上からしか見えないので)
4ヶ月目なのに水はこんなに透明です。

きっと水中の微生物がいい具合に働いて、水が自然にキレイになったのだと思います。
メダカの健康状態も非常に良さそうなので、当面はこのまま放っておく予定です。
(2004年8月執筆)

命名「ジャイアン」

ジャイアン

屋内組に、著しく腹の大きいヤツがいました。卵は産みませんでしたが、ヒレの大きさからするとメスだったかも知れません。
一番慣れていて真っ先に餌を食べに寄って来るので、最初は単なる肥満かと思っていましたが、その後も腹だけが異常に大きくなったので、何かの病気だったのかも知れません。(2004年11月25日没)



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